この記事は、現役のコーヒー屋の店主がコーヒーの歴史について解説します。
普段から何気なく飲んでいるコーヒー。コーヒーはいつ頃できたのか気になったことはありませんか?
日本には喫茶店があります。喫茶店やコーヒーチェーン店が身近に楽しむ嗜好品を広めるきっかけとなったのではないでしょうか。
この記事を読み終える頃にはコーヒーの起源や歴史についての疑問が解決し、よりコーヒーを楽しんでいただけるようになります。
・喫茶店やカフェが好きな人
・コーヒーの知識をつけたい人
・コーヒーの歴史を知りたい人
コーヒーの知識を人に教えたくなるかも!
①歴史的背景
そもそもコーヒーとは、コーヒーノキの種子を焙煎して挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料です。
コーヒーは、初めの頃は実をつぶして脂を混ぜて団子にして食用にしていました。
その後、実と葉を一緒に煮て煮汁を飲むようになり、実の皮と種子を天日で乾かして使うようになります。種子を煎って粉にして使うようになったのは13世紀頃と言われています。
現在はコーヒーを楽しむ場所としてカフェやコーヒー専門店、喫茶店などがあります。
では、コーヒーはいつ頃からできたのか?
コーヒーの起源の話は正直なところ色んな諸説があり、どれが本当なのかわからないくらい沢山あります。
この記事では文献がある有名なお話を紹介します。
羊飼いの少年カルディの伝説(年代不詳)
みなさんご存じのカルディコーヒーファームのカルディの話が有力なので、1つ目に紹介します。
舞台はアフリカのエチオピア。羊飼いの少年カルディは、夜になっても眠らず騒がしいままのヤギを見て不思議に思います。
観察してみると赤い実を食べており、自分も試すと元気が溢れました。
カルディから話を聞いた修道僧が実を持ち帰り食べたところ、夜中の儀式で眠気と戦う僧侶たちが眠らずに修行に励めるようになったのです。そこで眠らない修道院の秘薬となりました。
カフェインで興奮したということですね!
文献:アントニー・ファウスト・ナイロニ著「コーヒー論:その特質と効用」(1671年)
聖職者シーク・オマールの伝説(13世紀)
現在のイエメンであるモカでは伝染病が流行っており、イスラム神秘主義修道者のシーク・オマールは祈祷で大勢を救います。
噂を聞いたモカの王女も自身の伝染病の治療に訪れ、オマールは見事王女の病を治癒させました。
王女に恋心を抱いたオマールは求婚しますが、王様の怒りを買いオウサブの山に追放されます。
山で食べ物を探すオマールが目にしたのは、赤い実を食べる美しい鳥。
オマールは赤い実を食べるようになり、やがて煮出してスープのようにして味わいます。
罪を許され街に戻ったオマールは、コーヒーとその効能を人々に広めてモカの守護聖人と呼ばれるようになりました。
赤い実はコーヒーチェリーのことですね!
文献:アブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリー著書 「コーヒーの合理性の擁護」(1587年)
② 日本への輸入
世界最初のコーヒー店は、1510年頃にカイロにできたと伝えられています。
1554年にはトルコ首都コンスタンチノープルにコーヒー店が誕生しています。1500年代はコーヒー豆を煎り、石臼で挽いて煮出して飲む方法が広がっていました。
- コーヒーは日本へやってきたのはいつ頃でしょうか?
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江戸時代
長崎の出島を通して貿易品として輸入されていたが、嗜好品と言うよりも薬としての効果を期待されたものでした。
当時は、水腫に効果があると言われていました。
「可否茶館」
1888年4月13日、東京下谷に鄭永慶が最初の喫茶店「可否茶館」が開店、明治時代末から大正時代にかけて(1911年 – )、カフェーと呼ばれる喫茶店が全国的に普及。
コーヒーは一杯一銭五厘、牛乳入りが二銭。少し高いお値段設定です。
建物は、二百坪の敷地に五間と八間の二階建ての木造洋館。
※1間=1.8M
一階は『トランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋』を揃え、また硯に便箋や封筒もおいていたと言われています。
更衣室、化粧室、シャワー室、調理場などの設備の他に、『内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す』部屋を設けていました。
文各社や芸術家達が集うフランスの文学カフェをイメージして作られた店内でしたが、明治後期には早すぎて残念ながら数年後に閉店しました。
現在、「可否茶館」喫茶店はありませんが、跡地にモニュメントがあります。
一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
日本のコーヒー文化へ普及
東京の銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」が開店しました。
中でもコーヒーの大衆化に最も貢献したのは「カフェ・パウリスタ」という、ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのために開かれた喫茶店でした。
明治41年に始まった、日本からブラジルへの移民の多くが、コーヒー農園で働いており、その見返りとして、ブラジル政府から無償のコーヒー豆が提供されました。
その豆を用いて、コーヒーを低価格で提供した「パウリスタ」は、最盛期には20数店舗、従業員も1000名を越えるほど繁盛したのです。
キーコーヒーの創業者である柴田文次さんは「パウリスタ」で働いていた一人です。
「カフェ・パウリスタ」というと、芥川龍之介や菊池寛、与謝野晶子もブラジルコーヒーを飲みに通ったことで有名です。
多くの文豪が出入りする名喫茶です。現存する貴重な喫茶店なので銀座に行ったらぜひお立ち寄りください。
パウリスタで提供されている「森のコーヒー」は農薬、除草剤、化学肥料を一切使っていないため、クリアな旨味があります。
身体に優しく、環境にも優しいコーヒーだと注目され続けている一杯です。
まとめ
コーヒーの起源は調べると様々な諸説が沢山出てきて面白いので、ぜひ他にも探してみてください。
コーヒーに限らず、どうやってできたのか歴史や背景を知るとより何事も理解を深めることができるのではないでしょうか?
当店のコーヒー豆や商品はオンラインショップで販売しています。よかったらご覧くださいませ。